【『月刊現代』 2001年7月号】
宇多田ヒカルもフジモリ前大統領も
「二重国籍」容認が国を変える
時代遅れの国家観
あの宇多田ヒカルもそうだといえば、少しは読者の関心を引くだろうか。「二重国籍」が今回のテーマである。
日本人は、国籍は一つだけ持つものと多くの人が思い込んでいる。だが後にも述べるように、日本人でも複数の国籍を持つ”重国籍者”はすでに10万単位の規模に達すると予測できる。
最近のケースとしては、昨年11月、日本国籍が残っていることが判明したフジモリ前ペルー大統領が典型例だ。また、フランス人と国際結婚した女優の岸恵子さんは日本とフランスの二重国籍者である。加えて、日産自動車の再建に辣腕をふるうカルロス・ゴーン社長も、フランスとブラジルの二重国籍者であることを公言している。
多民族化の進んだ欧米では、重国籍はすでに常態化している。極端にいえば、三つ以上の国籍を持つことも不思議なことではない。その点、日本人の意識は、世界の意識とは明らかに異なる。
この通常国会で注目を集める永住外国人の地方参政権問題も「国籍」をどうとらえるかという点が論点の一つとなってきた。なぜなら地方選挙に限ってとはいえ、日本国籍のない外国人に選挙権を認める法案だからだ。
地方参政権法案に反対する一部の保守系議員たちは、国籍は「忠誠のあかし」「運命共同体」などの主張を繰り返し、その結果、「忠誠のあかしである日本国籍をもたない外国人に参政権を認めることはもってのほか」などという論理を展開した。
だが、世界の現状はどうか。前述のとおり、欧米など多くの先進国をはじめ、二重国籍者は世界に数百万人もいる。反対論者たちの言葉に従えば、これらの人々はどちらの国に「忠誠」を誓い、「運命」を共にする人々なのだろうか。
後述するが、こうした重国籍者の発生を止めることも、もはや不可能である。
日本は重国籍を法律上認めていないが、そうした存在は今後、国際化すればするほど増加していく。つまり、法律の規定と、実態とのギャップはますますかけ離れていくのだ。
将来、国境のない、世界連邦でも出来れば国籍の問題など自然消滅するだろうが、重国籍は、その過渡期に発生する問題といえるかもしれない。
国家に忠誠を尽くすといったような昔ながらの国籍観を振りかざす人々に、従来型の国籍のありようが、もはや時代遅れになりつつあることを伝えたいと思う。
アイルランドパワーの秘密
宇多田ヒカルは1983年、米国ニューヨークで生まれた。現在18歳。米国は国内で生まれた人には自動的に国籍を与える「出生地主義」の国だ。そのため、ヒカルには、米国籍が与えられている。
一方、日本は生まれた場所ではなく、血統を重視する「血統主義」の国だ。つまり、親が日本人であれば、七代下がっても日本人は日本人。そのため、日本人を親にもつヒカルは、日本国籍も併せ持っていることになる。
要するに、各国の国籍法の違いなどから、重国籍者は必然的に生まれてくる。ヒカルもそういう立場にすぎない。
日本の国籍法では、出生によって二重国籍になった者は、22歳までにどちらかの国籍を選択しなければならない。日本は「国籍単一の原則」を保持し、重国籍を認めていないからだ。
一口に二重国籍といっても、大まかにはヒカルのように「出生地主義」の国で生まれて生じる場合と、国際結婚の両親のもとに生まれる場合の二つのケースがある。
そもそも二つの国籍を持つとはどういうことか。つきつめれば、パスポートを二つ持つということだ。一般の日本人には「それはズルイ」と思われがちだろうが、当事者にとっては重要な意味を持っている。
朝日新聞に、「日本に活力をもたらす二重国籍」と題する論文が掲載されたのは昨年5月のことだった。執筆したのは岡山大学法学部教授のシゲコ・N・フカイ氏である。
フカイ教授は漢字で書けば「深井滋子」。東京都出身の”元日本人”だ。1964年に米国留学後、現地で博士号を取得。米国で教壇に立っていたが、94年、請われて岡山大学に来た。米国には二重国籍の息子と米国籍の夫が暮らしている。アメリカでの生活は30年にも及ぶ。
フカイ教授は夫とともに日本国籍であったが、米国に長期在住する都合から、77年、夫婦でアメリカに帰化した。その結果、日本国籍を失った。
日本に戻っての暮らしは7年目。その間、日本国籍のない不便さを度々味わったという。
例えば、住宅購入のため住宅金融公庫で融資を得ようとしたが、外国籍ではダメと言われ、わざわざ日本の永住資格を取った。また大学教員としての任期も、日本国籍をもたないため三年ごとの更新が必要になる。
ほかにも、日本を出国する際には、再入国許可証をいちいち取らないといけない。うっかり忘れたりすると、日本に戻ったときに永住権を無効にされてしまう。
米国籍なので日本の選挙権はないが、永住者が地方参政権を持つことは当然とも考えている。もともと日本人なのだから、国政選挙権もあって問題なしとも考えている。フカイ教授は言う。
「日本人には、日本に対して特別な感情を持っている人が多い。日本人に二重国籍を認めれば、有為な人材が日本に戻りやすくなるでしょう。結果的に日本の活性化につながるはずです」
フカイ教授は、21世紀の日本に活を入れる効果的な方法として二重国籍容認を提唱したが、その中でアイルランドの経済成長を例に挙げた。
移民供給国であったアイルランドは、もともと二重国籍を容認しているため、海外に移住し、さまざまな分野で活躍していた同国人が、近年次々と帰国した。そのことがマンパワーをアップさせ、経済好況の要因の一つになったという。
「日系人は、世界中に散らばる日本にとっての宝だと思うんです。人材のリクルートを容易にする意味からも、日系人の二重国籍を認めてもいいのではないかと感じます」
フカイ教授に今のところ、日本国籍を再取得する気持ちはない。家族をアメリカに残していることもあるが、日本が国籍を一つしか認めない以上、帰化は困難という。もし、二重国籍を認めてくれれば、日本国籍を再取得したいという思いは強くある。
胎児は日本人、乳児は外国人?
日本が国籍法を大幅改正したのは84年だった。戦後、国籍法はそれまで改正されたことがなかった。
長らく「父系血統主義」だった日本は、国際結婚した父親が日本人の場合だけ、子どもに日本国籍が与えられる仕組みをとってきた。男性中心の封建的な法体系といえる。そのため、日本人女性が外国人と結婚して子どもを産んでも、子どもには日本国籍が伝わらないという致命的な「欠陥」があった。当時、女子差別撤廃条約を批准するためにも、国籍法改正による問題解決が避けられない課題となっていた。
ベルギー人男性と国際結婚していたデレウゼ好子(旧姓・中力)さんも、そのころ、幼児を抱えて国会へ陳情に日参する一人だったという。デレウゼさんは80年、創設まもない「国際結婚を考える会」に参加し、国籍法改正を求める運動に加わった。
夫との間に二人の子どもを設けたが、旧国籍法のカベにより、子どもに日本国籍はなかった。日本で生活していても、出生まもない子どもへの予防接種の知らせは来ない。近所の人から聞いて、そのたびに市役所に問い合わせた。小学校入学の時期になっても、就学通知は来なかった。市の教育委員会へ就学願を出さなければ、日本の学校へは入学できない仕組みだった。
84年、国籍法が改正され、「父母両系主義」に改められると、母親が日本人でも、国際結婚の両親に生まれた子どもには日本国籍が認められるように変わった。当時、中学生と小学生だった子どもたちは現在20代。日本とベルギーの二重国籍だ。
「日本人の私のお腹にいたときは日本人として扱われ、オギャーと生まれた途端に外国人になってしまう。そんな仕組みはおかしいと感じていました。」
デレウゼさん自身も二重国籍者。フランスやベルギーでは一昔前まで、配偶者に対し、国籍を自動付与していた時期があったからだ(この場合は、帰化と異なり、日本国籍を法律上も失わない)。
「国籍はとりあえず住む国のものがあれば足りる。将来ベルギーに住むことにでもなれば別ですが、今のところ(ベルギーのパスポートは)必要ありません。」
デレウゼさんが所属する「国際結婚を考える会」では、”出生による”二重国籍容認を求める運動をこれまでずっと続けてきた。国際結婚の両親から生まれた子どもが、両親の国籍を保持することは「当事者にとってごく自然なこと」とデレウゼさんは説明する。
二国間の絆
重国籍のメリットを整理すると、次のようになる。
一つは、異なる複数の国に愛国心のある人が増えることで、戦争を防止する働きが生まれるという主張だ。この議論は「重国籍が常態化している米国でも盛んに行われていて、一つの説得力のある根拠になっている。」(行政書士・中井正人氏)という。
実は、外国人参政権問題でも同じことが議論されてきた。外国人であっても、地方選挙権を持ち、日本の政治に関心を持つ人が増えれば、日本と母国との二国間の絆を深めることにつながるといった論旨である。
翻って、二重国籍の一般的なメリットは、二つの国のパスポートを持つため、ビザなしでいつでも二つの国を行き来できるという”利便性”にある。
「双方の国に親族がいる以上、人権上も当然のこと」というのは、84年の法改正のとき、参考人として衆院法務委員会に呼ばれた津田塾大学の金城清子教授だ。
もし、親族に不幸などの緊急事態が発生した際、ビザが必要な国の場合いちいちビザをとって帰っている暇などあろうはずはない。将来的に相手国で仕事をする場合や長期滞在する際にも両方の国籍があった方が便利である。
また、二つの国籍をもつということは、二カ国のアイデンティティを保持する象徴にもなる。異なる国籍の親から生まれた子どもに、どちらか一方の国籍を選ばせるのは酷ともいえる。まして出生による重国籍は、本人の意思によって生じたものではない。二つのパスポートを持つことが「特別に犯罪的行為でもない以上、事情の違いを認めるべきだ」(金城教授)という声は根強い。
実際60年代までのヨーロッパでは二重国籍は防止すべきものと考えられていた。しかしその考えは緩和され、97年のヨーロッパ国籍条約では、むしろ二重国籍を許容する方向へと変わってきている(2000年3月発行)。
帰化による二重国籍を容認する(=従来国籍の放棄を求めない)国としては、フランス、イギリス、ベルギー、スイスなどがある。ほかに出生による二重国籍を容認する国はアメリカ、カナダ、南米諸国など多数に上る。
逆に、重国籍を認めることに伴うデメリットも指摘されている。多くは、兵役の義務や外交保護権に関するものだ。
例えば、該当する双方の国が自国民に兵役の義務を課している場合、どちらの国で義務に服するかという問題が生じる。また双方で戦争になった場合、どうなるかという議論もある。
先の太平洋戦争で、在米日系人が過酷な状況に置かれたことは、歴史的な事実だ。しかし冷静に考えてみれば、兵役の義務がなく、戦争放棄した日本で、そのような議論は起こりようがない。欧州では、一つの国で兵役をクリアすれば、もう一つの国では免除される取り決めがすでに実行されている。
外交保護権の問題も、第三国で起こる場合は、より密接な方の国に保護を求めればすむ。仮に、AとBの両国内で問題が生じた場合は、いずれの国も外交保護権は主張できないというのが一般的ルールにもなっている。
国籍問題に詳しい九州産業大学の近藤敦助教授も、「重国籍を容認することには幾つかのデメリットがあるものの、それに有り余るメリットがある」と積極的に推進する立場だ。
これら日本人の重国籍者がどの程度存在するか、正確な試算は存在しない。国籍・戸籍を所管する法務省民事局でも、「どのくらいの数になるか予想がつかない」という。正確につかむことは物理的にも不可能で、概算で数をはじくしかないようだ。
一つ、84年の国籍法改正のときの審議で出された事例がある。当時の民事局長は、重国籍者の年間発生数を大雑把に次のように答弁していた。
●生地主義国における重国籍−2800人
●国際結婚による重国籍発生−1万人
この推計によると、年間1万2800人程度、これまでに約20万人規模で発生していることになる。
しかし、当時、年間8千組程度だった国際結婚は、今は3万組みと4倍近くに増えている。現在、日本人の国際結婚でその相手方の上位を占めるのは、中国、フィリピン、韓国だが、このうち外国定住者の子に国籍を認めない中国を除けば、その子どもは必然的に重国籍となる。
また、84年以前は出生による重国籍の発生に制限が加えられていなかったことなどを考慮すると、重国籍の発生自体は100万人近い数(累計)になることが予想される。これらの人々は、国籍法改正のときに日本国籍を選択したものとみなされており、外国籍の離脱を強制されているわけではないから、いまも重国籍のまま、ということになる。
二重国籍が生じるには、幾つかのパターンがある。「国際結婚を考える会」の森木和美さんによると、次の四つのパターンだ。
一つは「出生」によるもの。この場合、宇多田ヒカルのように生地主義の国で生まれた場合と、国際結婚の両親に生まれる子どものケースだ。
二つ目は、デレウゼさんや岸恵子さんのように、結婚などの身分事項の変更によって重国籍になるケースだ。こうしたケースは最近は減っているというが、イスラム圏などでは配偶者に国籍を自動付与する国がある。
三つめは、帰化による重国籍だ。この場合は、自分の意志によって国籍を変更するため、母国籍を失うことになる。ただ、日本人が外国に帰化する場合も、その国が重国籍を認めていたり、日本に通知しない場合も多く、また外国人が日本に帰化しても、国籍離脱が困難な国もあり、実態的な二重国籍を防止することは難しい。
四つめは、届け出による国籍取得のケース。外国で生まれた日系人の場合などで、国籍の「留保届」をしていなかった人が、日本に住所を有し20歳未満という条件のもと、届け出によって日本国籍を取得する場合などである。
国家のエゴと歴史の清算
今年1月、国籍法改正のためのプロジェクトチームが与党三党でつくられたのは、永住外国人参政権の”余波”だった。外国籍のまま地方参政権を認めるより、帰化要件を緩和することで解決を求める声が、自民党内の参政権法案反対派の中から根強く出されたからだ。
与党プロジェクトチームでは、これまで八回にわたる検討の結果、特別永住者(歴史的な経緯で現在も日本に在住する在日コリアンら約52万人)に限って、届け出制により無条件に日本国籍を得ることができる法案を作成した。座長をつとめた太田誠一代議士(自民党)は感慨深げにこう語る。
「まさしく(参政権法案を推進してきた)冬柴さん(鐵三・公明党幹事長)のお陰ですよ。特別永住者に日本国籍を得やすくするような議論は、これまでタブーだった。私も自民党内のタカ派議員や警察なんかがもっと反対すると思っていましたが、すんなり話しがまとまった(参政権法案が)ある種の突破口を開いてくれたのは事実です」
その上で、今回の国籍法改正の動きについて「歴史の清算です」と断言する。太田氏は特別永住者について「国籍による解決が本質的な解決」とも考えていた。
一方、同じ与党でも、公明党の立場は異なる。プロジェクトチームのメンバーの一人であった上田勇代議士は「国籍法改正だけが成立し、参政権法案が棚上げされるとなると、当初の趣旨が変わってしまう。参政権法案も同時に成立させるべきだ」と強調する。
保守党の松浪健四郎代議士は、在日コリアンなど特別永住者の一世に限って二重国籍を認めてはどうかと提案した。提案の真意は「国家のエゴイズムに翻弄された人々の扱いがあまりにも軽すぎるのではないかとの気持ちがあったから」というが、他の議員からの賛同は得られなかったという。
松浪氏の提案が否決された理由は、「一度永住者に重国籍の特例を認めると、他に広がる可能性が懸念される」ということだったという。
重国籍の特例措置に賛同しなかった自民・公明は当然としても、松浪議員自身、一般的な二重国籍容認については否定的な考えをもっている。
97年3月、日韓二国間協定を結ぶことによって特別永住者に二重国籍を認める選択肢を自著において初めて提案した北海道大学の奥田安弘教授は、筆者の取材に対し、与党の法案について次のような疑問を投げかけた。
「二重国籍の選択肢がないのは、半世紀も放置されてきた経緯を考えてみたら、配慮に乏しいと言わざるをえない。旧ソ連邦の国々には、ロシアとの二重国籍を二国間協定で定めている事例がある。文化や教育なども協定の中で保障している。日本もこれらを参考にできるはずだ」
衆院委員会での審議がすでに終了している地方参政権法案については、自民党側の反対意見から、採決のメドが依然立たないままだが、上田氏や松浪氏は「もし採決されないとなれば、国籍法改正の採決も難しくなりそうだ」と口をそろえる。
もはや法では縛れない
繰り返すが、日本は重国籍を認めない国ながら、多くの重国籍者が実在する。そこには、法制度上の問題がある。
84年の改正で「父系血統」から「父母両系」に変わった際、国際結婚による重国籍者の増加を恐れた日本政府は、出生による二重国籍に対し、防止規定を設けた。
一つは、20歳未満の場合は22歳までに、20歳以上の場合は2年以内に国籍を選択させるようにした(14条1項)、いわゆる「選択制度」である。その上で、日本を選択した場合は、「外国の国籍の離脱に努めなければならない」との”努力規定”を設けた(16条1項)。
また、国籍の選択を怠った場合は、法務大臣は書面で国籍の選択を『催告』することができる(15条1項)とした。その上で『催告』を受けても一ヶ月以内に選択しない場合は、日本国籍を失う(15条3項)と規定した。
法務省によれば、法改正後16年なる現在『催告』がなされたことは「これまで一度もない」(民事一課・由良卓郎補佐官)という。つまり、催告によって、日本国籍を失った人は一人もいないということだ。
その理由について民事一課では、(1)催告すれば日本国籍を失う可能性があるため、日本に居住する場合不利益を与えかねない、(2)海外居住者には日本の国内法が適用しにくい、(3)一人に催告した場合、なぜ他の人に催告しないかという不公平が生じる−などの理由を挙げている。
要するに、この制度は「有名無実」のものでしかないと、自ら口にしているようなものである。宇多田ヒカルの場合も、生涯、二重国籍を維持することができるわけだ。
このように、二重国籍に対する「歯止め」など、実態上は存在しないに等しい。つまり、国籍が一つの国への忠誠などと信じられた時代は、現実の上からも矛盾をきたしている。奥田教授(前出)がいう。
「国籍とは、その国家の構成員であるという資格の問題であって、枠組みにすぎない。その構成員にどのような権利・義務を認めるかは、国によってまちまち。最初から、国籍イコール忠誠心、などという論理は成り立ちません」
現に、南米のチリでは、五年以上住む外国人には国政を含む参政権を付与することを憲法の条文に明記しているという。参政権と国籍がイコールなどではなく、国の裁量によることの好例だ。
重国籍状態になった人に中には、法務省の指導どおり「まじめに」どちらか一方を選択する人もいるかもしれない。だが、それは本人にとって不利益なことである。
真のグローバル化へ
むしろ、実態と法律が乖離している以上、無意味な防止条文は改めたほうがよいという意見さえある。国籍選択制度の廃止を求める声も当事者の間に根強くある。津田塾大学の金城清子教授(前出)は言う。
「たとえ帰化の場合でも、国籍放棄を義務づけるのは、国家優先の一時代前の発想です。人道上の観点からも、国籍法をゆるやかに改正すべき時期に来ていると思います」
今回、日系南米人が集住する群馬県大泉町も取材したが、日系ブラジル人の中には、届け出による日本国籍取得の場合にも、あるいは帰化の場合にも、実際には母国籍のブラジル国籍を離脱しないままでいるケースを多く耳にした。帰化の場合、法務局ではブラジル国籍を放棄するとの”宣誓書”を提出させているが、実態の上では二重国籍のままということだ。このように二重国籍を防止することは、事実上困難である。
もちろん、世界の中にあって、二重国籍を積極的に推奨する国は今のところない。だが、重国籍になっても国籍選択を求めない国、帰化しても母国籍の維持を認める国はいくつもある。
日本も、出生による重国籍者の容認をはじめ、歴史的経緯をもつ在日コリアンら特別永住者の重国籍容認について、もっと柔軟に考えてみてもいいのではないだろうか。
戦争になったらどうなるかと考えるよりも、戦争にならないようにするにはどうすればいいかという視点のほうが、共生を求められるこれからの時代にはより重要になってくるはずなのだから。