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北朝鮮・脱北者関連 執筆記事 2

【『月刊潮』2003年12月号】

ついにフジテレビを提訴
「北朝鮮問題」に過剰反応の日本共産党

■「査問」テープを公開せよ
 日本共産党の事実上の責任者、不破哲三氏の本名が、「上田建二郎」であるということを日本の有権者のどれくらいの人が知っているだろうか。つまり、党の責任者が本名を名乗らず政治活動を続けている主要政党は、日本広しといえども日本共産党だけである。
 ちなみにその不破氏が敬愛(?)してやまないソ連共産党創設者の一人、レーニンも実は本名でない。レーニンは150ものペンネームをもち政治活動を行ったことで知られる。
 日本共産党はこうしたトップをいただきながら、自らを批判した相手がペンネームで本を執筆したことをとらえ、「謀略だ」「正体隠しだ」と自らの機関紙『赤旗』で熱心に非難中傷した。自分たちの責任者である不破議長に対し、汚い唾(つば)を吐きかけた行為にも等しい。愚かな政党機関紙があったものである。
 その日本共産党がフジテレビを相手取り、名誉毀損で1000万円の損害賠償を求める裁判を起こしたのは2003年9月末のことである。理由は同月12日、フジテレビが日朝首脳会談1周年を記念して「金曜エンタテイメント・完全再現! 北朝鮮拉致“25年目の真実”」と題するドラマを放映し、この番組が、日本共産党の名誉を毀損したからだという。
 ドラマでは、拉致問題が全く知られていなかった時代に苦労して発掘調査した新聞記者、さらに掘り下げて取材を進めたテレビ関係者、政党秘書の立場で調査した計三人の男性が登場する。
 実はこの政党秘書こそ、元日本共産党参議院議員・橋本敦氏の秘書であった兵本達吉氏である。
 番組では兵本氏が拉致調査のために新潟、福井、鹿児島の被害者家族をまわり、一人で聞き取り調査を進める場面も登場する。日本共産党も当初はこうした調査を容認したが、途中から兵本氏の調査を“妨害”するようになり、さらに拉致問題が引き金となって兵本氏は同党の悪名高い「査問」にかけられ、98年に「除名」される。番組では短時間ながら、査問風景も描かれていた。
 だが、日本共産党は兵本氏の除名は番組で描かれたような拉致問題と関係なく、「兵本氏が公安警察と密かに会い、就職のあっせんを依頼したから」だと主張する。だが、兵本氏の言い分は真っ向から対立する。
 兵本氏によると、「(共産党は)『拉致』から引き離そうとしたけれども、なかなかウンとはいわないので、業をにやして除名に踏み切った」のだという。
 日本共産党はこの際、決定的な証拠を国民の前に示してみてはどうか。それは兵本氏を5日間、のべ20時間も拘束して行った「査問」テープの公開である。兵本氏はこのとき査問者から、拉致問題について詳しく追及を受けたと主張している。一方の共産党は、警察のスパイの一点張りだ。
 兵本氏の指摘によると、査問テープは同党規律委員会の「広瀬潜」なる人物が録音・保存しているという。日本共産党は堂々と裁判所に提出し、身の潔白を証明してはどうだろう。言い分が真実なら、ためらう理由は何もないはずだ。完璧な証拠になりうる。まさかこの後におよんで、「わが党に査問の制度はありません」などと2000年衆院選の際のデマを繰り返すつもりでもあるまい。

■都合のいい自己宣伝
 私自身、6年ほど前から日本共産党について断続的に取材してきた経験がある。現場の活動家は庶民と呼べる人が多く、親近感をもつことが多かった。だがこの党は全体になると、とたんに官僚的な非人間的体質をあらわす。共産主義というシステムのなせる業(わざ)だと感じる。一例として、同党が脛(すね)に“古傷”をもつ、北朝鮮問題がある。
 同党の主張によれば、「日本共産党は北朝鮮の国家権力による犯罪行為に対し、日本の政党のなかで最も厳しく批判した政党であり、拉致問題でも一貫した態度をとってきた」そうである。その上で、2002年の小泉首相の日朝首脳会談の実現も、共産党の不破哲三氏の国会演説によるものと自画自賛してやまない。
 このような“バラ色”の主張に対し、事情を知る関係者たちはみな呆れ、馬鹿にしている。なぜなら、自らに都合のいい「断片」だけを取り出し、自己弁護に汲々としている姿にほかならないからだ。
 確かに、ラングーン事件や大韓航空機爆破事件など北朝鮮の無法行為に対し同党が批判を加えてきたことは事実であろう。だが、都合のいいところしか取り出さない彼らの姿は、所詮、自己宣伝以外の何物でもない。
 実際は1950年代から60年代にかけて、日本共産党は朝鮮労働党と自他共に認める「兄弟党」の関係にあった。つまり、最も親しい友人であった。
 加えて2000年の南北首脳会談が電撃的に実現した直後からは、そうした犯罪を行ってきた北朝鮮と朝鮮総連を通じて“よりを戻す”動きを加速させていた。だが、そのことには決して触れようとはしない。“偏頗な主張”と指摘される所以である。
 同党の戦後の立役者であった宮本顕治氏は1959年から68年にかけて4度も訪朝し、金日成主席と直接会談もしている。こうした下地もあって9万3000人が“かの地”に渡った北朝鮮帰国事業も進められた。帰国事業は形としては日本政府、超党派議員、マスコミあげて支援したが、この事業を「陰で主導」したのは日本共産党にほかならない。
 その内容を私は単行本『拉致被害者と日本人妻を返せ〜北朝鮮問題と日本共産党の罪』(未来書房)で具体的に詳述した。ペンネームで書いた書物であるが、共産党は本の内容にふれることなく、「正体隠しだ」というような批判だけを重ねてきた。

■「結果責任」を認めぬ政党に未来はない
 話を戻そう。不破哲三氏もこのときの訪朝団に参加した一人だったが、知られるとおり、日本人妻を含む帰国者はそのほとんどは日本に帰国する願いもかなえられず、多くが力つき、死亡したほか、中朝国境をこえ、脱北者として日本に戻った人もいる。その多くが凄惨な体験を語っている。
 私が先の単行本で主張したのは、こうした悲惨な結末を迎えた事業に深く関わった日本共産党が、いまだなんの「結果責任」も認めようとしないのは“政党としての死”を意味するとの指摘だった。
 日ごろ奇麗事を並べている同党が、国民が知らないことをいいことに、なんの責任も認めようとしないのである。私はこの事実に愕然とし、怒りを覚えた。それまでの私は、日本共産党は曲がりなりにもスジを通す政党であると肯定的な印象もあったのだが、とんだ思い違いだったことに気づいたからである。
 同党は、本書の指摘を受けるや反省するどころか、2003年3月、事実無根として著者や出版社を名誉毀損などで訴えてきた。
 自らへの正当な批判に対し、「裁判」を用いて“言論弾圧”を加え、批判を抑え込もうとするのは、同党の得意とするところである。
 2002年9月、北朝鮮の拉致が明らかになると、これまで朝鮮労働党と密接な関係にあった社会民主党は、党首自ら国民に頭を下げ、謝罪を行った。国民感情から見ても当然のことであろう。だが、こうした“普通の政党”と比べ、日本共産党は明らかに異なる体質を持つ。
 自らの非を決して認めることのない“唯我独尊党”なのだ。
 「陰で主導」してきた帰国事業の結果責任を問われても、反省して謝罪するどころか、いまだに開き直り続けている政党である。
 私たちを訴えてきた裁判で同党は、「日本共産党自身が、北朝鮮を『地上の楽園』などと演出したことはない」と荒唐無稽な主張を繰り返している。つける薬がないとはこのことであろう。当時の関係者であれば、だれもが知りうる公然たる事実に対し、デマやウソを並べて平然としておれる神経――。
 先の単行本のあとがきで、私は「この政党に《未来》はない」と結論として記したが、その気持ちは薄まるどころか強まる一方である。
 そもそも、多くの人命にかかわった問題で「結果責任」を認めることのできない政党が、政治に参加する資格などあるのだろうか。
 都合のいい事実だけを自己宣伝に用い、過ちを指摘されても反省できない非人間的体質――。
 これらの姿勢が国民から幅広い支持を得られない最大の理由と指摘する人は多い。だが、その点を直視できない同党幹部の無為無策ぶりに、「未来」というものは全く感じられないのである。

 
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