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ジャーナリズム関連 執筆記事 13

【『月刊潮』2005年9月号】

戦後史における「創価学会報道」の謀略性I

すべて捏造だった「北新宿デマ事件」。

〜わずか半年間で、2300万円もの賠償命令――。
『週刊新潮』の“作り話”と、デマを補完する“自称”ジャーナリスト。


2000万円超の賠償命令
 1990年からすでに「1億円」もの名誉毀損による損害賠償金を支払ってきたことで知られる新潮社が、今年もすでに2300万円を超える多額の損害賠償を命じられている。しかも『週刊新潮』一誌によるもので、そのペースは尋常ではない。時系列にすると次のとおり。
@1月27日 330万円(確定)
A3月22日 220万円(確定)
B4月19日 550万円
C5月13日 165万円
D6月16日 300万円(確定)
E6月24日 500万円(確定)
F7月 7日 300万円
 もっとも新しいものは、衆議院議員の平沢勝栄が東京高裁で逆転勝訴(300万円)した事件だが、正確には現時点(7月20日)で、計7件・2365万円の賠償命令を受けており、この勢いは今後もとまりそうにない。『週刊新潮』はなぜこれほど負け続けるのか――。
 ひとえに、取材姿勢に甘さがあることは疑いようがない。ひどい例では、裏づけ取材が終わる以前に、編集長がセンセーショナルな断定口調のタイトルを先に決めてしまい、記事はそれに合わせてつくられることもしばしばという。
 さらに執筆者が“捏造”したコメントを「匿名コメント」として書き込むことも半ば日常的にあるらしい。これでは真実性はおろか、裁判で真実相当性も認められず、敗訴し続けるのは当然のことだ。
 なかでも、今回取り上げる「北新宿デマ事件」は、そうした『週刊新潮』の杜撰な取材・執筆システムを象徴的に浮き彫りにした事例として注目される。
 この名誉毀損記事が掲載されたのは、松田宏(現・常務)がまだ編集長だった99年7月8日号で、創価学会がダミー会社を使って北新宿地域で大々的に「地上げ」を行なっていると指摘する3ページの特集記事。翌週の7月15日号では、グラビア3ページを使って北新宿地域の写真を掲載し、「金儲けにいそしむ創価学会」などと書きたてた。
 だが、実際は、当時、その地域で「地上げ」が大々的に行なわれていたという事実すら存在せず、まして『週刊新潮』が示した学会のダミー会社なるものは、学会とはなんら関係のない会社であり、いわば記事の主要部分のほとんどすべてが「デマ」という、おそるべき名誉毀損記事だった。
 そのため学会側は同年10月、発行母体の新潮社とともに、唯一実名でコメントを寄せた乙骨正生を被告に提訴。2001年12月に出された一審判決では、『週刊新潮』誌上での謝罪広告とともに、新潮社に400万円、乙骨に100万円の損害賠償を命じる重い内容となった。さらに翌年6月の二審判決、同年11月の最高裁判決をへて確定した。
 このデマ記事が掲載された99年7月当時といえば、同じ『週刊新潮』に掲載されたデマ記事(94年)を訴えていた白山信之氏の裁判が前年3月、“新潮敗訴”で確定し、さらに95年9月の東村山デマ報道をめぐり学会側が97年に新潮社を提訴していた裁判でも、門脇護、四方田隆などの新潮デスクの証人調べという重要局面に入る前段階に当たっていた。
 加えて、『週刊新潮』が自ら“謀略の加担者”となって起こした信平狂言訴訟は、信平信子分の訴えが分離されて前年5月にすでに一審敗訴し、二審判決もまもなく出る予定だった。
 『週刊新潮』といえば、同誌の名誉毀損記事に対し民事提訴した芸能人や政治家などをターゲットに、さらに悪辣な名誉毀損記事で“意趣返し”する底意地の悪さで知られてきた。この「北新宿デマ」記事もそうした背景のもとに出てきた記事といえる。動機が動機だけに、記事内容の信憑性より、攻撃できればいいとの安易な姿勢が際立っていたわけだ。
 もともとこの記事の企画案を提出したのは、経済問題などに強く、多くの情報源をもつと『週刊新潮』内では定評のあったS記者だった。尋問記録などによると、95年ころから都庁周辺の地上げ問題の取材を手がけていたというS記者は、あるとき都議会議員のスタッフ(党派不明)から、北新宿で学会のダミー会社が地上げを行っているとの情報を得たという。
 記事には、学会がダミー会社を使って地上げをやっている根拠として、二つの事実が示されていた。

存在しない「主婦」地上げ部隊
 有力な根拠の一つとなったのが、居残る地権者から取材したという、ダミー会社に土地を売るように執拗に説得に来た“「主婦」地上げ部隊”なる存在である。
 不審に思ったという地権者が、女性3人組で構成されるとする“地上げ部隊”を尾行した際、女性らは新宿駅から京王線に乗り、一人が三多摩方面で下車し、学会のシンボルマークである三色旗の張られた家の中に入っていったという。調べてみるとそこは学会の地区拠点だった。それらの伝聞事実などをもとに、学会のダミー会社が地上げに乗り出していると、大見出しで断定調の記事を掲載したのだ。
 だが、結論からいって、この根拠も、存在自体すら疑われるまったくのデマだった。なぜなら、新潮側は裁判になっても、最後の最後まで、この発言をした地権者の実名はおろか、女性3人組の名前すら特定できなかった。
 確かに新潮記者は、地権者が女性3人組を尾行してたどりついたという家に“一応”の取材を試みたと主張する。だが、その肝心の内容はというと、夜の8時か9時ごろ、事前に連絡もないまま訪問し、インタホン越しにごく簡単なやりとりをしたにすぎない。そのとき対応した住人は、北新宿に足を運んだ事実などないと、記事の内容を明確に否定していた。
 そもそも新潮記者が名指しした女性は、すでに高齢で、坐骨神経痛を患い、そのころほとんど寝たきりの状態に近かったことが後に判明。つまり『新潮』記事は、病気で寝たきりの高齢女性が突然電車に乗って北新宿まで赴き、地権者を説得して帰ってきたとする、およそ荒唐無稽な内容だったことになる。
 そのため判決は、主婦3人を尾行したとする「地権者の実在およびその説明の真実性を認めることはできない」(高裁判決)と、新潮記事の重要な根拠をバッサリ斬り捨てた。つまり、新潮側が有力な取材先として主張した地権者の存在すら疑わしいと認定したわけだ。その理由として、判決文は具体的に以下のように記している。
 「新宿駅という日中でも一定の混雑がある場所を通りながら対象者を見失うことなく尾行することができた理由、行き先が不明である中で乗車券を購入した経緯等、尾行の経験がない、または乏しい者が尾行したのであれば当然に意識したであろう事実についての記載はなく、この点においても(※新潮側提出の)報告書の記載は、迫真性、真実性にかけるといわざるをえない。そもそも、地権者がわざわざ尾行までした動機が明確とはいえず、苦労して尾行した結果、○○の○○家(※判決は実名)に土地売却の勧誘をした女性の一人が入っていったことを確認したにもかかわらず、その後、何らの対応を取った様子も窺えないことも理解し難い」(東京高裁判決)
 つまり、素人が尾行できたという事実自体、不自然なことだし、その点についての説明はなんら記載されておらず、さらに尾行の目的も明確でない。女性が学会員宅に入っていくのを現認したにもかかわらず、その後、なんら問いただすなどの行動をなんら起こしていないことも不自然、と裁判所は認定した。
 実際、3ページにわたる新潮記事の中で、会話として使われたコメントは、そのほとんどが「匿名」であった。列挙すると、「地権者の一人」「ある創価学会の関係者」「地権者」「前出の地権者」「地上げされた土地の隣の住人」「ある学会幹部」「北新宿でマンションを経営しているある地主」「先の学会幹部」「計画反対派の一人」など、実在の確認すらできないものばかり。実際、裁判になっても、これらのうち、新潮側はただの一人として具体的に明らかにすることはできなかった。
 新潮関係者によれば、こうした「匿名コメント」は、その「8割から9割方は新潮で作成しているもの」といい、ほとんどが≪捏造≫との有力証言がある。
 『週刊新潮』のこうした“イカサマ”的な記事づくりの手法は、現場のジャーナリストからも根強い批判がある。TBS「ニュース23」のキャスターをつとめる筑紫哲也氏は、編著『職業としてのジャーナリスト』(岩波書店)で、『週刊新潮』の次長を名指しし、次のように指弾している。
 「『ウラをとる』努力は取材の基本動作です。週刊誌に限っては、そういう手順は免責されるのか。しかも、情報の出所はこの種の記事の典型として、全て匿名の引用です。責任の所在はどこにもないのです」
 「いくらでもこの種の記事はねつ造することができます。そして、この橋の建設素材は匿名、出所不明の談話の羅列というわけです」
 「要するに、あなたたちは何者なのか、どんな『ジャーナリスト』なのか、という問いに尽きます」
 筑紫氏のまっとうな問いかけに対し、『週刊新潮』は正面から回答することを避け、代わりに6年ほどたって、悪意の中傷記事で応じてきたという。その行動パターンは、学会に対するそれと、まったく似通っている。

デマを「補完」した自称ジャーナリスト
 もう一つ、『週刊新潮』の“デマ記事”の中で、学会地上げの根拠とされたのが、“自称ジャーナリスト”乙骨正生の浅薄なコメントである。
 学会攻撃する“デマ記事”となると、必ず登場するのがこの人物だが、乙骨はわずか25行のコメントながら、100万円もの損害賠償の支払いを命じられることになった。その事実だけで、悪質さもわかろうというものだ。
 コメントの中で同人は、「最近では、学会に対する住民のアレルギーが強いため、地上げなどにはダミー企業を使うケースが増えています」などと、確たる裏づけもないまま、“思い込み”を振りまいていた。その根拠として、同人は週刊誌の記事など多くの裏付けらしきものを法廷に出したが、裁判所はいずれも一蹴。
 「これらの証拠および事実関係によっても、原告(※創価学会)が一般的にダミー企業を使って地上げをし、その利益に群がっているとの摘示事実が真実であると認めることはできない」(東京地裁判決)とし、さらには、「被告乙骨は、前記の同被告が根拠として掲げる事実から、原告が一般的にダミー企業を用いて地上げをしていると軽々に誤信したものに過ぎず‥」と、その論拠の甘さを弾劾した。
 もともと乙骨は、同級生より2年遅れてやっと創価大学に入学。自治会選挙でも落選し、在学中の78年12月に“脱会”。乙骨は自身の陳述書で、宮本顕治盗聴事件や国政選挙での集団替え玉事件など、「こうした事実を知るにいたって創価学会を脱会した」などと、いかにも自身の行動を正当化させるかのように書いていたが、いずれの事件も最初に判明したのは彼の脱会後のことであることを尋問で指摘され、乙骨は、これらが脱会理由ではないことを認めざるをえなかった。
 要するに、自己正当化に腐心するあまり虚偽理由を申し立てたにすぎない、というわけだ。それが高じてか、ジャーナリストなどと自称し、事実のいかんに関係なく学会攻撃を行っているようだ。
 同人は、この裁判でも、信濃町駅前の「そば屋」を「喫茶店」と勘違いして陳述書に記すなど、お粗末な事実確認能力を露呈させた。さらに2001年7月の証人尋問では、東村山デマ報道における新潮側の“敗訴”判決(2001年5月)を「間違っていると思います」と平然と述べ、“訴権の濫用”が確定(2001年6月)した信平狂言訴訟についても、「判断が間違っています」と、根拠もなく“精一杯の強がり”を見せていた。
 これも自己正当化のなせるわざか。雑誌ジャーナリズム界では、こんな男でも“学会ウォッチャー”などともてはやされるのだから、日本の創価学会報道のレベルは相当に低いといわざるをえない。
 原告側代理人の一人、井田吉則弁護士はこう感想をもらす。「この記事は事実自体が存在しない、まったく架空のでっち上げ事件。その意味では信平狂言事件と同じです。尋問していてもわかりますが、彼(乙骨)は裏づけがきちんとしていないのに、書いたり、コメントしたりする。ジャーナリストなどと称していますが、弁護士の目から見ても、基本ができていないことは明らかです」。
 敗訴確定をうけ、『週刊新潮』の創価学会に対する「謝罪広告」は、2002年12月26日号に掲載された。このことに“懲りた”のか、同誌はその後、“架空のつくり話”をデッチ上げ、学会攻撃するといったハレンチな真似は慎むようになったようだ。それでも悪意の中傷はなおも続いている。(文中敬称略)

 
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