2012/01/04(
Wed
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歴史に残る“墓穴訴訟”(1) 阿部日顕の起こしたシアトル裁判
「阿部は、昭和38年3月、原告日蓮正宗の教学部長として、アメリカ合衆国へ第1回海外出張御受戒に行った際、同月19日から20日にかけての深夜、シアトルにおいて、売春婦に対し、ヌード写真を撮らせてくれるように頼んだこと、売春婦と性行為を行ったこと、その後、その料金をめぐって売春婦らとトラブルを起こし、警察沙汰になったことが認められる」(東京地裁判決)
2000年3月21日午後1時すぎ、東京地裁でひとつの“歴史的な判決”が言い渡された。都合6年間にわたる審理の結果、言い渡された判決の主文は「原告の請求を棄却する」という短いものにすぎなかったが、判決文は238ページにおよぶ膨大なものだった。冒頭の≪認定≫はその198ページ目でなされたものである。
シアトル裁判の原告は日蓮正宗(代表・阿部日顕)と大石寺(同)。一方の被告は創価学会など。事件の発端は1991年11月にさかのぼる。宗内僧侶の風紀が乱れていることを厳しく批判されて創価学会をうとましく思っていた宗門は前年、創価学会を切り捨てる作戦を策謀。翌年それを実行に移した。その結果、それまで公にならなかった阿部日顕の過去の行動も、表に出てしまうことになった。
92年6月、学会の青年向け機関紙が、阿部日顕の過去のスキャンダルをすっぱ抜くと、阿部側は93年12月、事実無根の内容として名誉棄損で民事提訴し、応酬した。このスキャンダル事件の重要な証言者となったのは、当時、シアトル支部長として阿部の現地案内をつとめた女性で、この女性のほか、阿部を警察署に連行した警察官も来日し、東京地裁の証言台に立った。
阿部は当初、「ホテルからは一歩も出ていない」と身の潔白を主張していたが、裁判の途中で「飲酒のために外出した」などと供述を180度変更し、宿泊したホテル名についても、コロコロ変わった。そのため一審判決では、「本件事件の存在を否定する旨の阿部の供述は、重要な点において、その内容が変遷しており、その変遷には何ら合理的な理由が認められず、また、供述内容も曖昧で不自然かつ不合理な点が多い」(195ページ)と認定。結論として、「阿部の供述は信用することができない」(196ページ)と裁判所は判断をくだした。
阿部側の起こした名誉棄損訴訟は、事件の核心部分の≪真実性≫が認容される結果となり、阿部の請求は棄却される格好となった。2審において宗教教団同士の争いとしては、その内容があまりに低劣であることなどが配慮された結果か、裁判所が和解を勧告し、2002年1月31日、和解で終結している。
日蓮正宗67代法主の阿部日顕は、教団の代表者となった聖職者が、かつて海外の宗教行事の合間にハレンチなスキャンダル事件を起こし、司法によってその「真実性」を認定された人物としてその名を残すことになった。阿部にとっては40歳のときの不祥事だったが、“墓穴訴訟”として、これほどわかりやすい例も珍しい。
※ひとは「疑い」をかけられたとき、あるいは直接の批判対象にされたとき、凡たる人間ほどわかりやすい行動をとる。当事者が一定の立場や公の地位にあるときはなおさらその傾向が強いようだ。身の潔白を訴えて民事訴訟を起こしたまではいいものの、その後、やぶへびに“真実の姿”が世の明るみとなり、逆に自分の首を締める結果になることも数多い。このコーナーでは、そうした「墓穴訴訟」の実例を不定期連載で検証する。(Y)
2000年3月21日午後1時すぎ、東京地裁でひとつの“歴史的な判決”が言い渡された。都合6年間にわたる審理の結果、言い渡された判決の主文は「原告の請求を棄却する」という短いものにすぎなかったが、判決文は238ページにおよぶ膨大なものだった。冒頭の≪認定≫はその198ページ目でなされたものである。
シアトル裁判の原告は日蓮正宗(代表・阿部日顕)と大石寺(同)。一方の被告は創価学会など。事件の発端は1991年11月にさかのぼる。宗内僧侶の風紀が乱れていることを厳しく批判されて創価学会をうとましく思っていた宗門は前年、創価学会を切り捨てる作戦を策謀。翌年それを実行に移した。その結果、それまで公にならなかった阿部日顕の過去の行動も、表に出てしまうことになった。
92年6月、学会の青年向け機関紙が、阿部日顕の過去のスキャンダルをすっぱ抜くと、阿部側は93年12月、事実無根の内容として名誉棄損で民事提訴し、応酬した。このスキャンダル事件の重要な証言者となったのは、当時、シアトル支部長として阿部の現地案内をつとめた女性で、この女性のほか、阿部を警察署に連行した警察官も来日し、東京地裁の証言台に立った。
阿部は当初、「ホテルからは一歩も出ていない」と身の潔白を主張していたが、裁判の途中で「飲酒のために外出した」などと供述を180度変更し、宿泊したホテル名についても、コロコロ変わった。そのため一審判決では、「本件事件の存在を否定する旨の阿部の供述は、重要な点において、その内容が変遷しており、その変遷には何ら合理的な理由が認められず、また、供述内容も曖昧で不自然かつ不合理な点が多い」(195ページ)と認定。結論として、「阿部の供述は信用することができない」(196ページ)と裁判所は判断をくだした。
阿部側の起こした名誉棄損訴訟は、事件の核心部分の≪真実性≫が認容される結果となり、阿部の請求は棄却される格好となった。2審において宗教教団同士の争いとしては、その内容があまりに低劣であることなどが配慮された結果か、裁判所が和解を勧告し、2002年1月31日、和解で終結している。
日蓮正宗67代法主の阿部日顕は、教団の代表者となった聖職者が、かつて海外の宗教行事の合間にハレンチなスキャンダル事件を起こし、司法によってその「真実性」を認定された人物としてその名を残すことになった。阿部にとっては40歳のときの不祥事だったが、“墓穴訴訟”として、これほどわかりやすい例も珍しい。
※ひとは「疑い」をかけられたとき、あるいは直接の批判対象にされたとき、凡たる人間ほどわかりやすい行動をとる。当事者が一定の立場や公の地位にあるときはなおさらその傾向が強いようだ。身の潔白を訴えて民事訴訟を起こしたまではいいものの、その後、やぶへびに“真実の姿”が世の明るみとなり、逆に自分の首を締める結果になることも数多い。このコーナーでは、そうした「墓穴訴訟」の実例を不定期連載で検証する。(Y)