日記

2011/07/24(Sun)
立場を「3度」も変遷させた原発政策  “その場しのぎ”の日本共産党
 1954(昭和29)年、ソ連の原子力発電所のスタートを日本共産党が絶賛していた事実は繰り返し紹介してきたとおりだ。その後、原発問題が日本国内の現実政策となってくると、同党は「反対」の立場をとってきたことも事実のようである。不破哲三氏はそのスタートを1961(昭和36)年としているが、同党の原発への態度は、実は現在とは大きく異なっていた。
 今年の3・11(東日本大地震・福島原発事故)以降、日本共産党は「原発と人間社会は両立しえない」(本日付赤旗)などという主張を行うようになっている。いまだに放射性廃棄物を安全に処理する技術がなく、原子力発電は“トイレなきマンション”に等しいという理屈からである。その結果、「日本からいっさいの原発をなくすしかありません」(同)と主張している。
 だが、以前は、同党はこのような主張をむしろ≪攻撃≫する側にいたことはあまり知られていない。もともと「脱原発運動」には「核と人類は共存できない」とする考え方があり、それをもとに一部で運動が展開されてきたからだ。こうした動きを、日本共産党は次のような理屈によって、≪否定≫し続けてきた存在だった。
 「わが党と『脱原発』派の、原子力に対する見方の違いはどこにあるのか、端的にいうと、『脱原発』派は、現在の原発が危険だということから、将来にわたって原子力の平和利用を認めないことを原則的な立場にしています。それに対して、私たちは、現在の原発の危険性を正面から指摘し、その危険に反対する点では、もっとも一貫した立場をとりますが、人類の英知の所産である原子力の平和利用の可能性を原則的に否定する立場はとらない、という点にあります」
 「脱原発は、核と人類は共存できない、原発はなくす以外にはない、ということを主張しています。われわれは、原子力の発展は人類の英知の所産だという立場です。人類は失敗を繰り返しながら、科学・技術を発展させてきました。同様にして、将来もまた、発展してくだろう、というのが、われわれの哲学、弁証法的唯物論の立場です」(いずれも『月刊学習』1989年4月号)
 この発言をしたのは、当時の日本共産党副委員長で、党科学技術局長であった高原晋一という人物である。この発言が、あのチェルノブイリ原発事故から3年後の時期にあたることも踏まえておきたい。この時点でも、原発を運転・稼動させることで生じる放射性廃棄物を安全に処理する技術は当然ながらまだ見つかっていなかった。その意味では、当時もいまも、“トイレなきマンション”の状況は何も変わっていない。
 だが今年になって突然、共産党は原発政策を大きく≪変遷≫させ、かつては自分たちが攻撃していた「脱原発」派の側に自ら方針転換した。結局は、世論迎合と見られても仕方がない。
 私は同党の現在の主張内容自体にとやかく言うつもりはないが、最初は(1)ソ連の原子力発電を絶賛、次に(2)原子力の平和利用は認めるものの「脱原発」運動を批判、さらにいまは(3)脱原発運動の推進に転じる――という3段階の変化は、同党の一貫性なき政策の歴史をそのまま示している。これで「科学的社会主義の政党」(不破)などと言われれば、まともな人間がその言葉を耳にすれば、開いた口がふさがらないだろう。