日記

2009/06/20(Sat)
思考能力乏しき「エセ右翼」の妄説  2
 先月末日、小生は都内で開かれた民団系主催の外国人参政権を求める市民集会へ取材に出かけた。地下鉄を出て会場までさほど距離のない道路上で、右翼らの盛んなシュプレヒコールなどを目にすることになった。そうした活動を続ける団体について、一昨日、朝日新聞が紙面で取り上げていた。西部本社版でその記事を読んだが、ある右翼が自身のブログ上で以下のような言説を掲げていた。

(引用開始)
 「行動する保守運動」が今回、東京都中央区で開催された在日韓国人らの「外国人参政権を求める」集会への抗議行動で見せた怒りとは何なのか?
 それは個人の怒りではなく、日本民族としての怒りなのです。
 朝日新聞社はどうもそこを履き違えているようです。個々には個人的な感情から「在日コリア」が嫌いだという人もいるかも知れません。しかし、多くの人は日本国家を構成する一員として、民族の怒りを表明したのです。
 そこを理解出来ない朝日新聞社は次のように記事を書いています。
 「在特会のように一緒に何かと対決する形で結びつく人たちがいれば、もっと緩やかに、別の形でつながっていこうとする人達もいる」
 在特会との対比で、その後の記事でNPO法人の『自立サポートセンター』を紹介しているのが、それが何よりの証左なのです。
 我々は日本人であるという自覚に欠けていた。しかし、国家・民族の危機を前にして、多くの若者が目覚め立ち上がってきた。
 古今東西の歴史を見ても、国家・民族が危機に瀕した時に、先ずは先鋭的な運動が起きています。
 その兆しが今の時代ということなのです。そこを理解しない限り、「行動する保守運動」の真髄を理解することは不可能です。(引用終わり)

 上記によると、彼らが外国人参政権に反対するのは「日本民族としての怒り」からという。では、彼らの主張する「日本民族」とはいったい何であろうか。上記の街宣行動では、「日本から出て行け」とするあからさまな言葉も飛び交っていた。
 私の理解では、日本民族は、朝鮮半島出身者との“大量混血”の結果生まれた民族にすぎない。その意味では、我々はみな、コリア系日本人にほかならないのだ。
 古代の弥生文化のころから、朝鮮半島から多くの「渡来人」が日本に渡り、文字や稲作、文化などを日本に住む人々に伝えた。そうした人々と多くの「混血」を繰り返してきた結果が現在の日本人の姿であり、天皇家も例外でない。天皇家自身がその事実を認め、公式にアナウンスもしているからだ。その意味では、われわれ日本人には、そうした古代からの韓国・朝鮮人の血が色濃く流れている。
 要するに、日本民族は、2000年単位でみれば、「コリア系日本人」の総称にすぎない。そうしたなかの一部の錯覚者たちが、この100年単位の在日コリアンに対し差別的言辞を吐いているのは、考えてみれば滑稽な姿に映る。彼らにとっての在日コリアンは、ひとりのぬくもりをもった人間ではなく、形の見えない「総称」にすぎないようだ。
 右翼を自称する者たち、さらに「政治的な受け皿がない」という“不満のはけ口”を解消するために上記団体に集まっている者たちの多くも、もとをたどればコリア系にほかならない。
 あえて「多く」と書いたのは、戸籍で出自をたどるのは200年くらいが限度で、寺などに残っている檀家の家系図などはそれよりさらにさかのぼれる可能性はあるものの、結局それ以前はたどれないとの物理的理由による。現代人の何割がコリア系にあたるか、統計学者が純粋に算数計算してくれることを個人的には希望する。
 これは特定の意味をもたせるための主張などではもちろんなく、歴史的事実をありのままに述べた結果にすぎない。

※「混血」という言葉は、問題用語として使わない傾向にありますが、端的に事実を示すにはこの用語がふさわしいと考え、あえて使用しました。