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2008/08/14(
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東村山デマ事件の「真相」(続)
95年に起きたこの事件では、当初、「他殺説」と「自殺説」が混在した。実は、仮に「他殺」であれば得をする立場と、「自殺」であれば損をする立場はまったく同一の人物となっている。
昨日のコラムにも書いたが、9月1日のその時点は、転落死した朝木明代が数日後には東京地検八王子支部に出頭すべき日にあたっていた。同人が地検でも完全否認すれば、起訴される予定になっていた。そうなればどういう事態に陥ったか。
当然、現職市議の万引き事件にからむ起訴だけに、テレビ・新聞などのニュースになる。もともと朝木らの会派は「清潔さ」を売りに市議会議員として市民の人気を得ていただけに、これは壊滅的な結果を意味した。最初から“選挙に弱かった”同僚議員の矢野穂積にも、その「余波」は当然及ぶことになる。まさしく、会派が壊滅してしまいかねない結果になることが予想された。
だが、この最悪の事態は、朝木が死亡したことで、結果的に回避されることになった。朝木は検察に出頭する必要もなく、当然、起訴されることもなかったからである。さらにこの件で、メディアにそれ以上のネガティブ情報が流れることもなくなった。
だが、この死亡が、ためらい自殺による転落死であっては、当然、困る立場にあったのは矢野ら同僚議員であることも明白だった。「万引き事件を苦にしての自殺」というレッテルを貼られ、マスコミに流されたのでは、結局、同じ結果に陥ってしまう。つまり、矢野らにとって、「自殺」であっては受けるダメージはさほど変わらない。実際の真実と別に、自殺であってはいちばん困るのは彼らだったからだ。
そのためか、当の矢野穂積は2日未明、朝木明代の死亡が確定した直後の段階で、乙骨某という名のジャーナリストに電話して、こう伝える。「朝木さんが殺されました」「ビルの上から突き落とされたようです」。当然、この人物なら食いついてくるだろうとの読みが矢野にはあったはずだ。だがこの時点で、本格的な警察の捜査はまだ始まっていない。実際は、事件の真相は何もわからない段階にすぎなかった。そのときこの男は、「殺された」と真っ先にマスコミ関係者に煽っていたのである。ここに、この事件の≪核心≫が横たわっている。
なぜならその後も、矢野は警察捜査にほとんど「協力」することすらなかった。事情聴取に応じれば、同人の主張する教団他殺説に実質的根拠が存在しないことがばれてしまうことを恐れたとも思われる。
そのため矢野らは捜査に協力することなく、教団による他殺説を躍起になってマスコミなどに振りまき続けた。「他殺説」が広がって得をするのは、だれよりも当の矢野らであった。他殺説をふりまけばふりまくほど、自殺説は相対的に情報量が減ることになる。要するに一石二鳥の「プロパガンダ」ともいえた。またその試みは、95年というオウム真理教事件が起きた以降の教団包囲網の世論の時期に、意外なほど成功することになった。
こうした意図的情報に“ダボハゼ”のごとく最初に食いついたのが、「乙骨某」であったことは重要な意味をもつ。同人が果たした役割は、所詮は「便利屋」程度のものだった。乙骨はその情報をさらに週刊新潮などの週刊誌メディアに伝えていった。そうした結果、週刊誌は横並びで、「誤報」を打ち、賠償などを命じられる結果となった。
繰り返すが、自殺か他殺か、明代が死亡した時点では、だれにもわからなかった。それでいて、最初から「他殺説」を強硬に振りまいた発信者は、「矢野穂積」という人物にほかならない。
だが、朝木明代の死が何を契機にもたらされたものであるかを一番よくわかっているのは、実は矢野本人とも思われる。矢野は自分に不利益な「真実」については正直に語ることはないと思われるが、9月1日午後、朝木明代と2人で弁護士のもとに相談に行く過程で、明代とどのようなやりとりがあったかを明らかにすべきである。
結局は“万引き市議”の死去、さらに意図的なプロパガンダが効を奏した結果からか、矢野らはいまも「市議会議員」の職にとどまることができている。そうしていまも他殺説を声高に叫びながら、自分たちの身を守ることに躍起になっている。所詮は≪利害に基づく行動≫であり、「便利屋」を筆頭に、多くのいわくつきのメディアがそのプロパガンダに乗せられる格好となった。結局のところ、教団は、矢野穂積らの政治的立場を守るために“濡れ衣”をかぶせられた、≪罪なき被害者≫にすぎなかった。
昨日のコラムにも書いたが、9月1日のその時点は、転落死した朝木明代が数日後には東京地検八王子支部に出頭すべき日にあたっていた。同人が地検でも完全否認すれば、起訴される予定になっていた。そうなればどういう事態に陥ったか。
当然、現職市議の万引き事件にからむ起訴だけに、テレビ・新聞などのニュースになる。もともと朝木らの会派は「清潔さ」を売りに市議会議員として市民の人気を得ていただけに、これは壊滅的な結果を意味した。最初から“選挙に弱かった”同僚議員の矢野穂積にも、その「余波」は当然及ぶことになる。まさしく、会派が壊滅してしまいかねない結果になることが予想された。
だが、この最悪の事態は、朝木が死亡したことで、結果的に回避されることになった。朝木は検察に出頭する必要もなく、当然、起訴されることもなかったからである。さらにこの件で、メディアにそれ以上のネガティブ情報が流れることもなくなった。
だが、この死亡が、ためらい自殺による転落死であっては、当然、困る立場にあったのは矢野ら同僚議員であることも明白だった。「万引き事件を苦にしての自殺」というレッテルを貼られ、マスコミに流されたのでは、結局、同じ結果に陥ってしまう。つまり、矢野らにとって、「自殺」であっては受けるダメージはさほど変わらない。実際の真実と別に、自殺であってはいちばん困るのは彼らだったからだ。
そのためか、当の矢野穂積は2日未明、朝木明代の死亡が確定した直後の段階で、乙骨某という名のジャーナリストに電話して、こう伝える。「朝木さんが殺されました」「ビルの上から突き落とされたようです」。当然、この人物なら食いついてくるだろうとの読みが矢野にはあったはずだ。だがこの時点で、本格的な警察の捜査はまだ始まっていない。実際は、事件の真相は何もわからない段階にすぎなかった。そのときこの男は、「殺された」と真っ先にマスコミ関係者に煽っていたのである。ここに、この事件の≪核心≫が横たわっている。
なぜならその後も、矢野は警察捜査にほとんど「協力」することすらなかった。事情聴取に応じれば、同人の主張する教団他殺説に実質的根拠が存在しないことがばれてしまうことを恐れたとも思われる。
そのため矢野らは捜査に協力することなく、教団による他殺説を躍起になってマスコミなどに振りまき続けた。「他殺説」が広がって得をするのは、だれよりも当の矢野らであった。他殺説をふりまけばふりまくほど、自殺説は相対的に情報量が減ることになる。要するに一石二鳥の「プロパガンダ」ともいえた。またその試みは、95年というオウム真理教事件が起きた以降の教団包囲網の世論の時期に、意外なほど成功することになった。
こうした意図的情報に“ダボハゼ”のごとく最初に食いついたのが、「乙骨某」であったことは重要な意味をもつ。同人が果たした役割は、所詮は「便利屋」程度のものだった。乙骨はその情報をさらに週刊新潮などの週刊誌メディアに伝えていった。そうした結果、週刊誌は横並びで、「誤報」を打ち、賠償などを命じられる結果となった。
繰り返すが、自殺か他殺か、明代が死亡した時点では、だれにもわからなかった。それでいて、最初から「他殺説」を強硬に振りまいた発信者は、「矢野穂積」という人物にほかならない。
だが、朝木明代の死が何を契機にもたらされたものであるかを一番よくわかっているのは、実は矢野本人とも思われる。矢野は自分に不利益な「真実」については正直に語ることはないと思われるが、9月1日午後、朝木明代と2人で弁護士のもとに相談に行く過程で、明代とどのようなやりとりがあったかを明らかにすべきである。
結局は“万引き市議”の死去、さらに意図的なプロパガンダが効を奏した結果からか、矢野らはいまも「市議会議員」の職にとどまることができている。そうしていまも他殺説を声高に叫びながら、自分たちの身を守ることに躍起になっている。所詮は≪利害に基づく行動≫であり、「便利屋」を筆頭に、多くのいわくつきのメディアがそのプロパガンダに乗せられる格好となった。結局のところ、教団は、矢野穂積らの政治的立場を守るために“濡れ衣”をかぶせられた、≪罪なき被害者≫にすぎなかった。