2005/06/22(
Wed
)
「矢野穂積」が尋問を“ドタキャン”、陳述書すら提出せず――東村山“デマ蒸し返し”事件
「乙骨正生」が発行する『フォーラム21』(2004年1月15日)において、東村山市議転落死は「やはり他殺だった」などと騒ぎ、乙骨や東村山現職市議の「矢野穂積」が宗教法人創価学会から訴えられている裁判で、本日、証人調べが行われた。この日、予定されていた3人の証人のうち、直前になって矢野が健康上の理由で尋問をキャンセル。そのため、乙骨ら2人を調べた。
尋問で乙骨は、問題となった掲載号の「座談会」の前文や「編集後記」を自分で執筆したことを言明。例えば「編集後記」には次のように記されていた。
「事件後、8年の経過の中で、遺族・関係者の真相究明の努力の結果、警察や創価学会が大騒ぎしたような『自殺』、それも朝木明代市議にかけられていた『万引き容疑を苦にしての自殺』などではなく、『他殺』であることがハッキリしました」
もしこれが事実なら、たいへんな問題であろうが、乙骨が摘示したこれらの事実の「根拠」は、いつもながら、お粗末極まりないものだった。本件記事において根拠にあげたのは、@司法解剖の「鑑定書」への疑問A月刊「潮」判決で、裁判所が転落死を「自殺でない」と認定した――などだったが、@についてはすでに裁判で何度も矢野側が証拠として提出してきたにもかかわらず、すべて敗訴してきた事実などを尋問で指摘されたが、乙骨はそうしたことすら正確に把握していなかった。
さらにAについては、民事訴訟という限られた証拠を使って審理された判決文中の「部分観」をもって、自己に都合のいい結論を導いているものにすぎず、≪裁判の仕組みを根本的に理解できていない≫“欠陥ジャーナリスト”ならではの、お粗末な主張の典型ともいうべきものである。
乙骨は、フォーラム編集部には、自分以外に編集担当者が「2〜3人」いることなども明らかにした。
もともとこの日の尋問期日は、現職市議の矢野の都合に合わせてイレギュラーに設定されたもので、場所は傍聴人が100人以上入ると思われる大法廷(東京地裁103号)。被告本人である矢野は、前回期日から3カ月も日程的余裕があったにもかかわらず、自身の「陳述書」すら提出せず、さらに尋問を直前になってキャンセルしたため、いつものことながら裁判長はじめ、呆れた様子を隠さなかった。矢野の代理人はひたすら平謝り。次回は9月26日、矢野本人を調べる予定だが、出廷できるかどうかは定かでない。おかげで秋にも見込まれていたはずの一審判決は、年末前後にずれこみそうだ。
尋問で乙骨は、問題となった掲載号の「座談会」の前文や「編集後記」を自分で執筆したことを言明。例えば「編集後記」には次のように記されていた。
「事件後、8年の経過の中で、遺族・関係者の真相究明の努力の結果、警察や創価学会が大騒ぎしたような『自殺』、それも朝木明代市議にかけられていた『万引き容疑を苦にしての自殺』などではなく、『他殺』であることがハッキリしました」
もしこれが事実なら、たいへんな問題であろうが、乙骨が摘示したこれらの事実の「根拠」は、いつもながら、お粗末極まりないものだった。本件記事において根拠にあげたのは、@司法解剖の「鑑定書」への疑問A月刊「潮」判決で、裁判所が転落死を「自殺でない」と認定した――などだったが、@についてはすでに裁判で何度も矢野側が証拠として提出してきたにもかかわらず、すべて敗訴してきた事実などを尋問で指摘されたが、乙骨はそうしたことすら正確に把握していなかった。
さらにAについては、民事訴訟という限られた証拠を使って審理された判決文中の「部分観」をもって、自己に都合のいい結論を導いているものにすぎず、≪裁判の仕組みを根本的に理解できていない≫“欠陥ジャーナリスト”ならではの、お粗末な主張の典型ともいうべきものである。
乙骨は、フォーラム編集部には、自分以外に編集担当者が「2〜3人」いることなども明らかにした。
もともとこの日の尋問期日は、現職市議の矢野の都合に合わせてイレギュラーに設定されたもので、場所は傍聴人が100人以上入ると思われる大法廷(東京地裁103号)。被告本人である矢野は、前回期日から3カ月も日程的余裕があったにもかかわらず、自身の「陳述書」すら提出せず、さらに尋問を直前になってキャンセルしたため、いつものことながら裁判長はじめ、呆れた様子を隠さなかった。矢野の代理人はひたすら平謝り。次回は9月26日、矢野本人を調べる予定だが、出廷できるかどうかは定かでない。おかげで秋にも見込まれていたはずの一審判決は、年末前後にずれこみそうだ。