【教団で何が起きているのか】
波田地克利の虚実――創価学会内部に発生した分派活動
■プライドだけ高く、信心は弱い
組織内組織の構築をはじめとする分派活動や情報漏洩など教団内で会則違反行為を重ねたことで2013年12月29日(最終的には2014年4月26日)、創価学会を除名処分となっていた元本部職員の波田地克利(58)が、宗教法人創価学会に対し会員資格の地位確認(=除名の無効)を求めて訴えていた裁判で2016年7月、審理が終結し、一審判決が同年10月27日に言い渡される運びとなった。
この裁判で、本人尋問が行われたのは同年4月26日のことだった。東京地裁408号法廷の狭い傍聴席を埋めたのは10人ほど。黒縁メガネに白髪まじり、年相応ながらやけに太った姿が目に入る。2時間近く行われた尋問の中で、印象に残った場面を一つだけ挙げよう。
それは1991年4月、創価学会の学生部に在籍していた波田地が、金褒賞(教団内で功労のあったものに与えられる称号)を表彰されたくだりだ。このとき同人は、「副会長がまだほとんどいただいていない時代に、池田名誉会長から(直接)いただいた」と自慢げに語った。
第二次宗門問題の際、同人が教団側で活躍したことは事実で、その際、副会長クラスでもまだほとんどもらっていない≪特別の賞≫をオレはいただいたんだという自慢めいた話だった。実際、本人にとって、その頃が人生の絶頂期だったということだろうが、「今とこれから(=現在と未来)」の姿勢が常に大切となる信仰の世界において、過去の栄光にすがる後ろ向きな姿に、強い違和感を覚えたのも事実である。
例え過去の宗門問題で一定の功績があったとしても、現実には、同人は自ら日蓮正宗の阿部日顕などを訴えた民事裁判で、当初意図したような「勝訴」を得ることができていない。阿部日顕や妙観講講頭の大草一男の盗聴関与の事実を裁判所に認めさせることができなかっただけでなく、そうできなかった原因について、自身の責任はすべて棚上げし、いまだに他人のせいにばかりしている。
仮にまともな信仰者なら、「自分の祈りが足りなかったからこうなった」などある程度は自省するものだが、同人の口からそんな殊勝な言葉が飛び出すことはまずありえない。なぜならそれが同人の信仰観であり、物事の原因をすべて自分以外の「環境」に転嫁し、自己責任とするだけの基盤が内面に存在しないからだ。所詮は、“未熟な信仰者”の形であり、特に≪退転者≫に共通する姿ともいえる。
比較するには波田地は小物すぎるが、晩年の10年ほど私も取材で関わることになった元弁護士・山崎正友も、その点では全く同様だった。自分が不利益を被っているのはすべて他者のせいであり、相手への憎悪が募り、結局、“逆恨み”の人生で終わってしまった。彼らの辞書には「反省」の二文字が欠落しているため、結局は除名されるような結果すら生んでしまう。また、除名された後も、すべて相手への批判を繰り返すだけだ。そんな姿は、「山崎正友」という過去の≪大先輩≫がいるので、我々としては特に驚く必要もない。
■「宿坊」掲示板に群がる者たち
波田地克利を中心とする通称・波田地グループが教団内に一定の組織内組織を形成し、分派活動を行ってきたことは知る人ぞ知る。何をもって分派活動とするかは線引きが難しい場合もあるかもしれないが、このグループは度を過ぎていたというしかない。
波田地は2016年4月に行われた先の本人尋問で、会内の波田地グループの分派活動の“情報拠点”であった専用メーリングリストや専用ツイッターなどが現在、インターネット上の公開掲示板「宿坊」に事実上、そのまま移行していることを認めた。その上で、自身ではそこに一切「書き込みをしたことはない」「全く関与していません」などと供述していた。
この掲示板を観察していると、およそ事実かどうかの裏付けの確認さえ取れていないようなあやふやな情報が、投稿者の感情をまじえ、ごちゃまぜに投稿されていることがわかるだろう。言うなれば、“公衆便所の落書き”に近い状況である。
中でも特定幹部に対する攻撃は、常連投稿者を中心に執拗なまでになされていて度を超している。こうした行動の根底にあるのが、波田地を中心とするメンバーの「感情」に発するものであることは、思慮分別のある者が見ればすぐに明らかとなろう。問題は、それらの攻撃が明確な証拠に基づかず、“噂話”の次元でなされていることである。
大なり小なり、組織というものを預かった者なら容易に理解できることだろうが、事実にすら立脚しない意図的な噂話をもとに、組織を“攪乱”する者が出てきたらその組織はどうなるか。これは明確に「組織破壊行為」そのものであり、処分の対象となることは、あらゆる組織体において当然のことである。根拠のない分派活動がどれほど組織の活力を失わせるか、わかっていない者たちがこの「宿坊」板に集まっているというほかない。
過去に教団は、山崎正友・原島嵩という2人の脱会者を出した。いずれも利用し合う関係の2人であり、亡くなる年(2008年)まで同じだった。歴史は繰り返すとはよく言ったもので、かなりミニチュア版ではあるものの、今も似たような状況が生まれている。そうした者たちによって利用されているが、現状の「宿坊」掲示板なのだ。
山崎・原島の時代はインターネットなどという文明の利器は存在しなかったのでこうした問題は生じなかったものの、「宿坊」板をめぐる現状は、あたかもかつての山崎・原島が影響力を持っている掲示板で、わけのわかっていない者たちが自身の教団に関する不平不満を開陳し、さも正当性をもって他を教育せんかのような浅薄な知識人気どりの者たちが結集しているのと同じことである。
そもそも教団は、このような有象無象の情報によって、よりよく変革されることなどありえない。もしそのような志を持つのであれば、組織の「内側」において、自身の熱意と行動で身の回りから地道に変えていく作業を続けるしかあるまい。
■本質は逆恨みの感情
波田地尋問の続きに言及しよう。2時間近くかけて行われた本人尋問の中で、ほかにも注目すべきやりとりがあった。一つは2013年秋に講談社発行の写真週刊誌『フライデー』に掲載された「創価学会『池田大作後継候補』を襲った怪文書騒動」と題する2ページの記事について、波田地が被告側代理人から反対尋問を受けた際のやりとりである。
この記事は、波田地本人のもとを警視庁四谷署の刑事が訪問し、任意同行を求めた際の記述から始まり、同人が教団の本部職員としてどのような仕事をし、どのような経緯がこれまであったかなど、波田地本人を中心とする記事にほかならない。署名入りの記事であり、取材・執筆者は「高橋篤史(ジャーナリスト)」となっている。
もともと波田地が教団を除名される原因となった一つに、マスコミへの情報漏洩が挙げられていた。だが、そうした疑いを払拭する意図と思われるが、除名無効を求めたこの裁判で同人は、この記事の取材を一切受けておらず、取材執筆者は本人に確認もしないで記事を書いたと、法廷内で堂々と供述したのである。マスコミで仕事をする者の一般常識として、こうした記事を書くのに、当事者本人に取材しないで書くということは通常ありえない。だが、波田地本人はあくまでそのように言い張った。後日、私のほうから高橋氏に確認してみたところでは、「取材源に関することはお答えできない」との回答だった。
この日の尋問の終わりころで、波田地は谷川佳樹副会長について、谷川氏が学生部長のころから「波田地の地方講演を中止にしろ」などのさまざま妨害を受けてきたなどと供述。同人が谷川副会長に対し、個人的に敵意を抱いている様子がうかがえた。波田地は代理人から質問もされていないのに、一方的に自身の主張をまくしたてる場面も見られ、裁判官から「待ってください」とたしなめられる姿も。
結論として、波田地問題の本質は、理屈というより、表面上はそのように擬制されているとはいえ、その根底に私的な「感情」があることは明らかである。上記『フライデー』記事において、「噂話に明確な証拠はない」と記述されているにもかかわらず、同人は裏付けのない噂話を教団幹部を攻撃する材料に使ってきた(現在も同じことが「宿坊」掲示板で行われている)。
「法」に基づくのではなく、「特定の人」を中心とした分派グループ。教団内において、いつしか分派活動が局地的に発生し、教団内部を“攪乱”する主体と化してきた。何も知らない会員からすると、表面的な主張からはその本質は容易にうかがいにくい面もあるかもしれないが、彼らの行動が私的感情に根差すものであり、教団の発展を純粋に求める行動でないことを指摘しておかなければならない。
【2016年8月24日掲載】 |