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オンラインリポート 1

【新潮ジャーナリズムの恥部】

「門脇護」という名の“捏造ジャーナリスト”を
抱え続ける「一流」出版社


■「昇進」した捏造記者
 全10ページにわたる陳述書がある。被告新潮社の一員である門脇護が、2002年2月18日付で東京地裁に提出したものだ。青の万年筆で「門脇護」と署名された一段上に、「週刊新潮編集部次長」と書かれた肩書き。だが、「次長」の部分は二本線で消され、「副部長」と書き換えられている。
 ルーシー・ブラックマンさんの事件の裁判で門脇が提出した陳述書である。週刊新潮は2000年10月19日号で「英国人元スチュワーデスの失踪で『ある資産家』の疑惑」なる記事をワイド特集で掲載。この号が首都圏で発売された翌日、別犯人が逮捕された。この記事は、とんだ“ガセネタ”だった。
 「ある資産家」は匿名扱いだったが、記事にはさまざまな個人情報が盛り込まれており、周囲の関係者は容易にこの人物を特定できた。
 男性は2001年5月、新潮社を名誉毀損で提訴。翌年末の一審判決は新潮社側に150万円の賠償を命じ、2003年10月、最高裁でも確定した。
 この記事の担当デスクとして取材を指揮し、執筆したのが門脇護である。その後、門脇は被告側の証人として2002年5月に“出廷”。その間の4月に、編集部内で「次長」から「副部長」(副編集長)に昇進していた。先の陳述書は、そのことを物語る。
 彼が「昇進」した2002年4月がどういう時期であったか。
 同人が担当した信平狂言の捏造手記が出たのが96年2月。以来、裁判報道という形をとりながらも、捏造関連記事は30回以上にわたり繰り返された。
 もともと門脇らが助言して始まった狂言夫婦による民事裁判だったが、2001年6月26日、最高裁で「訴権の濫用」として厳しく断罪され、確定。同じ年の11月、『言論のテロリズム』(鳳書院)が発刊されると、門脇が記者の範疇を超え、狂言夫婦にどのような具体的指示を行っていたかなどが白日のもとに晒された。週刊新潮の“エース記者”に、明確な“捏造記者”の烙印が押された瞬間である。
 だが、それから半年もしないうちに、門脇は編集長を補佐する「副部長」ポストに昇進。
 “戦後空前の捏造手記”として後世に残るであろう記事に中心的にかかわったこの記者を、新潮社は懲戒免職などの処分のかわりに、「昇進」で報いた。
 冒頭の裁判で門脇は、週刊新潮が「出版社系週刊誌として最古の雑誌で、特に捜査当局の内幕報道を得意としております」とか、「新聞と違って国民の知る権利に対する役割の一端をになっている」などと、自負めいた見解を陳述している。
 看過できないのは、「その際、私どもが常に肝に銘じていることは、すべて取材によって掴んだ事実だけを記述することです」と平然と述べていることだ。
 過去、交通事故の被害者を加害者にデッチ上げたほか、巨大教団の指導者を捏造記事で貶めた、その張本人に口にできる言葉ではけっしてない。
 先の陳述書によれば、2002年2月時点で、門脇の社内役職は「編集委員、主任編集委員、次長として、記事の取材・執筆のみならず、編集部員の指導・管理にあたる立場」と記している。
 捏造記事に手を染めた男に“指導・管理”される編集部員とはいったい何であろうか。ジャーナリズムの「基本」を知らない男に“指導”されて、まともなジャーナリストなど育つわけはない。

■エース記者の「転落」
 1958(昭和33)年生まれ。83(昭和58)年、中央大学法学部(政治学科)卒、同年4月新潮社に入社。「週刊新潮」に配属され、特集班、コラム班の記者をへて、90年4月、特集班のデスク。同年代の中でも早い“昇進”だったようだ。そうして2002年4月、副部長に昇格。以上が、門脇護の主な経歴である。
 ちなみに「週刊新潮」は、その取材スタッフをほぼ自社でまかなうことで知られる。いわば“純血主義”のスタイルをとり続けてきた。そのため独自の社風も生んだ。用語の使い方ひとつとっても、一般とはかなり異なる。
 たとえばデスクという言葉――。通常の新聞社などでは、記者があげてきた原稿に朱筆を入れ、完成原稿に仕立てる人のことをいう。だが、週刊新潮でいうデスクは、取材記者らがあげてくるデータ原稿をもとに、最終的に記事執筆に当たるアンカーマンのことを指す。
 また、特集班、コラム班という呼称も外部の者にはわかりにくい。週刊新潮では1号につき3〜4本の特集記事(いわゆる2〜5ページの記事)やワイド特集などがあるが、それらを特集班が担当。そのほかTEMPOなど短い記事を担当するグループをコラム班と称する。さらにグラビア写真を担当するグラビア班もある。
 現在、週刊新潮編集部は60数人の部員で成り立つというが、メインはやはり特集班だ。特集班には8人前後のデスクがいて、4つのチームに分かれて采配をふるう。これらのチームは“遊軍班”と呼ばれ、一つのチームが月に1度、持ち回りで編集長あてにテーマを提出する。
 遊軍班の会議は一号分の作業が終了する火曜日の夕方以降に行われる。そこで担当の遊軍班が次の号の企画案を提出する。担当の遊軍班は、休みの水曜と木曜も予備取材にあて、金曜日の全体編集会議に備える。
 先ほどデスク8人程度といったが、このうち4人程度が「次長」の肩書きをもつ“次長デスク”。「次長」がそれぞれの遊軍班の“キャップ”(=責任者)を務める。
 つまり、週刊新潮の取材態勢は、編集長以下―次長(遊軍キャップ)―デスク―取材記者(数人)ということになる。これらが4チームでそれぞれ持ち味を出し合い、取材を一気呵成に進めるというわけだ。
 さらに各号の特集記事のラインナップは、担当の遊軍キャップである次長と編集長とでほぼ決められ、その後の編集会議で追認するシステムという。
 つまり、あの信平狂言手記なるものが掲載された96年2月、デスクであった門脇護は、当時、編集長であった松田宏と「合意」のもと、手記を掲載したことになる。
 この編集長ありて“捏造記者”あり、ということだが、松田の記者時代のいい加減さは、門脇が入社したその年に発刊された亀井淳元編集部次長の手による『「週刊新潮」の内幕』(第三文明社)に詳しい。
 松田はヒラ記者時代、依頼主を“恐喝”したことで有名になった“元祖トンデモ弁護士”、山崎正友のリークに飛びつき、山崎の情報操作に踊らされた男として有名である。亀井は松田らをこう分析して書いている。
 「その記者たちはジャーナリストとしての正常な平衡感覚を十分に持ったものとはいえず、スクープをあせる功名心や卑俗なセンセーショナリズムに駆られやすい者たちだった」
 つまり、松田という“先輩記者”と、門脇という“後輩記者”は相似形である。
 「週刊新潮」という極めて狭い世界で一時期、エース記者としてもてはやされたという門脇護も、松田と同じく、「正常な平衡感覚を十分にもた」ず、「スクープをあせる功名心や卑俗なセンセーショナリズムに駆られやす」かったため、あの狂言手記をものした。
 裏を返せば、平衡感覚をもった記者は、週刊新潮にはい続けることができないという事実を20年前の亀井元次長の退職劇は物語ってもいる。
 門脇護に、今後生涯にわたって “捏造記者”の肩書きが付いてまわることは間違いないが、エース記者の「転落」は、実は、新潮的体質の必然的帰結といっても言いすぎではない。

■“真実”を捨てた記者
 霞ヶ関にある東京地方裁判所――。14階の記録閲覧室で申請すると、翌日の午後、30センチほどに綴られた分厚い記録が、3本も出てきた。
 事件番号、平成8年(ワ)10485。原告は信平醇浩と信子。2001年6月に、「訴権の濫用」として最高裁で確定した“狂言訴訟”の記録である。
 信平夫婦は創価学会幹部の立場を利用し、夫婦共謀して多数の会員から金銭貸借を行ったことで、1992年5月、役職を解任された。裁判記録に綴じられている「解任申請書」によると、醇浩の問題となった言動は以下のとおりである。
 「70歳代の未亡人を中心に、会員10名より、約5000万円の借用をする。2名については全く返済していない。6名については、借用金の2分の1から3分の2を返済した時点で支払いを止め、催促すると『多く払いすぎている』と言って、逆に請求書を送ってくるなどしている。また幹部に言うと『この町に居れなくする』等々、ヤクザまがいの脅しをするなど、常識では考えられない状況が続いている」
 一方、妻の信子は次のとおり。
 「会員からお金を借用するきっかけをつくっていた。『証券会社や銀行にお金を置いておくより、うちの父さんに預けておくと増やしてやる』『これからは頭を使いなさい。父さんに預けると金利が多くつくから』等々、言葉たくみにだまし続けている」
 いわばていのいい“詐欺まがい夫婦”だった。2人は93年に脱会。その後、96年2月に信子が「週刊新潮」に3度にわたり強姦されたと主張する手記を掲載。うち3回目は、91年8月16日、信子が「64歳」のときに「野外で」襲われたとの内容だった。
 膨大な裁判記録には、被告側が証拠として提出した多くの写真も残されている。3回目の事件があったというちょうどそのころ、信子は会合に出てにこやかに笑い、ラジオ体操を元気に行っている姿がカメラに収められていた。非道な暴力によって貶められた気配など、そこには微塵もない。
 私も月刊誌に依頼され、何度か函館のこの夫婦に関する取材を行ったことがある。夫の醇浩は、函館競輪があるときは必ずそこに姿を見せていた。テレビ中継を見つめ、自分が賭けた券を握り締めて興奮する男の姿がそこにはあった。昼間から仕事もせずに、競輪場通い。その金はいったいどこから出るのかと尽きぬ疑問ではあった。
 先月、新潮社の佐藤隆信社長は、この二人を「いかがわしい夫婦」と形容し、教団に対し“遺憾の意”を表明した。だが、こうした「いかがわしい夫婦」の話をなんら検証することなく、大々的にキャンペーンした事実は消えることはない。
 まして、取材の次元を大きく超えて、「刑事ではなく、民事でやりましょう」などと平然と指南していた門脇護なる“捏造記者”は、いまだ責任もとらず、編集部の椅子に座り続けている。
 “元祖ルポライター”の竹中労は、「取材する前に必ず予断をもて。しかしその予断は、取材の結果修正されていく」が口癖だった。
 だが門脇は、自らの「予断」を、どの時期かはともかく、取材結果によって「修正」することをしなかった。つまり、《真実》を“捨て去った”、記者としてもっとも大事な役割を放棄した男なのである。
 例えていうなら、国民の幸せを考えず不正ばかり働いている悪徳政治家や、国民を見下して傲慢に振る舞う一部官僚などと本質的に変わるところはない。社会に“毒を撒き散らす者”である。

■捏造記者が“日本を滅ぼす”?
 2004年4月、福岡地裁で靖国参拝違憲判決が出たことで、9日付の『産経新聞』1面コラムの「産経抄」が裁判官への不信をつづっていた。そこで紹介されているのが、ジャーナリスト門田隆将著なる『裁判官が日本を滅ぼす』という書物である。
 この書は昨年6月、新潮社から上梓され、私が手にしているものは「4刷」となっているので、結構売れたのだろう。もともと『週刊新潮』が2002年10月から年末にかけて短期集中連載した「『裁判官』がおかしい!」を一冊にまとめたものだが、この単行本の著者は門脇護である。
 連載では、週刊新潮編集部が取材したさまざまな“トンデモ裁判官”を顔写真入りで掲載し、批判を加えていた。このような裁判官がいることは事実だろう。読んでいて、確かにこれは問題と思わざるをえない裁判官も目立つ。その意味でなかなかの労作といえなくもない。この連載を『噂の真相』編集長が賞賛した事実もうなずける。だが、である。
 同書ではさまざまな裁判事例の紹介のほかに、近年の名誉毀損による損害賠償額の高騰化について指摘し、まるでそれが言論弾圧であるかのように主張している。ちょっと待てよと思うのは、著者の門脇護なる人物の言動を知っている者ならだれもが抱く感想であろう。
 名誉毀損の賠償額高騰のきっかけをつくった一因は何あろう、門脇護その者であるからだ。
 事実無根の強姦手記をデッチ上げ、“裁判報道”と称してウソをさらに30回以上も増幅させた罪は、ジャーナリズムの一端にかかわる者としては「万死」に値する。ましてそのような虚偽報道が、自分で自分たちの首を締める“一因”となったのだ。
 だが、大きな責任をもつはずのこの著者に、そのような自省心はカケラも見られない。いうなれば、ここで論じられている“トンデモ裁判官”は、著者の門脇護の人間性と大差はない。この男は、自らの非を悟ることなく、他人に批判の矢を投げることしかできていないからだ。
 まともな人間から見れば、門脇護のような“捏造”さえ恬として恥じない“トンデモ記者”こそ、“日本を滅ぼす”元凶であろう。
 彼の著書では八尾恵の裁判にも章を割いているが、84ページに次のくだりがある。
 「私はスパイではない――のちに自ら告白する『真実』を隠蔽したまま、彼女は虚構の訴訟を起こしてくるのである。裁判では、このように真実を隠し、別の目的のために偽りの訴訟が起こされる例は珍しいことではない」
 まさしくその通り。訴権はだれにでも認められている。仮にAという女性が、Bという男性にレイプされたと訴えることは、例えその事実が存在しなくとも、だれでも行うことができる。「裁判」を使って、相手を陥れることができるのだ。
 そのような認識をもっていた門脇本人が、なぜ信平のような「いかがわしい夫婦」(新潮社・佐藤隆信社長)による“偽り”が見抜けなかったのだろうか。
 いや、見抜けなかったのではない。実際は、“偽り”とわかっていながら、裏づけもなく、虚偽報道を繰り返した「確信犯」だったにすぎない。
 百歩譲って、“偽り”と見抜けなかったというのなら、それは別の意味で“マヌケ記者”の典型ということになる。つまりどっちにしても、“トンデモ記者”であることに変わりはない。

■「捏造記者」の日米比較
 2004年4月――、米国で最大の発行部数を誇る日刊紙が捏造記事の責任を問われ、揺れていた。この新聞は全国紙の「USAトゥデー」(214万部)。同紙で海外特派員などを務めていたジャック・ケリー元記者(43)が、判明しているだけで少なくとも8本の長文の記事を捏造していた。
 そのため疑惑が生じた同年1月に同記者は辞職。1982年に同紙が発刊されて以来の生え抜き社員でもあったカレン・ヤーゲンセン編集長も4月20日、責任をとって辞任した。さらに22日、同社はハル・リッター編集局長も辞任したと発表した。
 記事を捏造した元記者はピュリッツァー賞候補に5回選ばれたスター記者だったという。同紙が3月に発表した調査報告書によれば、元記者は、2000年のキューバ難民に関する記事で、難民ではなく生きている女性を「船で亡命中に死亡した」などとでっち上げていた。
 「捏造」といえば、2003年に発覚したニューヨーク・タイムズのジェーソン・ブレア元記者の事件が記憶に新しい。この問題でも、記者自身が辞職したほか、編集主幹や編集局長も引責辞任した。
 この場合の「捏造」はどのようなものであったか。イラク戦争で救出された米兵ジェシカ・リンチさんに関する一連の記事などで、実際には取材していない場所や会っていない人物について、自ら取材したかのように記事を書いていた。
 一方、わが国はどうか。有名なものに1989年、朝日新聞写真部員らによるサンゴ損傷事件がある。この事件で、サンゴに傷をつけた写真部員は退社処分、東京本社編集局長と同写真部長は更迭され、当時の社長は引責辞任した。
 上記は、いずれも、功を焦った記者らによる「捏造」である。取材していないものを取材したように見せかけ、報道記事に仕立て上げるなどのケースだ。
 だが同じ「捏造」でも、特定個人を追い落とすために行う「捏造」はより悪質である。
 そうした「捏造」を行ったことを社長自らも半ば認めている「週刊新潮」の場合はどうか。
 社内に調査委員会を設置した事実もなければ、当時の編集長や担当記者が「辞任」した事実もない。前編集長の松田宏は同社役員としていまも在籍し、担当記者の門脇護も、編集部の要職に居座ったままである。
 欧米であれば、とっくの昔に「辞職」しているのが常識だが、新潮社という名の「一流」文芸出版社は、こうした「捏造記者」をいまも懐深く抱え込んだままだ。このことは、同社には社会の公器としてのジャーナリズムに不可欠な、“最低限のモラル”さえ存在していないことを示している。(敬称略)



 
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